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天津観光−天津五大道
天津市和平区馬場道にある五大道は1860年の天津条約によって誕生した、天津英租界にある英国式の住宅街だ。
9ヶ国の天津租界の中で最も繁栄した天津英租界にある五大道には1800年代から1900年代前半の英国式の建築物と住宅街の街並みがが残っている。
現在五大道付近は、天津市の高級住宅街となっており有名人たちも多く住んでいる。
天津五大道までのアクセス

天津地下鉄1号線小白楼駅(站)より五大道(スタート地点まで)は徒歩約5分。交通アクセス地図
クリックで地図を大きくできるよ。
天津五大道

下記の地図は中国語の、天津五大道のガイドマップ。
天津五大道のガイドマップ

天津の名前の由来
五大道は天津の中心に位置しており、公式な名前ではなく通称名だ。
東側、西側には中国の南西名城――成都、重慶、常徳、大理、睦南及び馬場と名づけられた五本の街道があるため、天津人が五大道と呼んでいる。

地域範囲は馬場通り北側、成都通り南側、西康路の東方向に、馬場道和南京道交口の西側の一帯。
この地域の一番の特徴は、異なる欧風の建物が並んでいること。英、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなどの国の独特な建物が230棟あり、有名人の家50棟余り集まっているので、万国建築博覧会場にもなったことがある。

ここでは、西洋風の別荘様式の建物が300カ所もあり、そのうちの100カ所以上は歴史に名を残す知名人の旧居である。

五大道地域には三つの特徴がある。

★一つは、一戸建ての住宅が多く、横道が少ない上に、有名人の家が番地で区別され、改名されることなく、標識もないこと。
★一つは道が全部「里」と通称され、「胡同(路地)」が無い。
★もう一つには、「大楼」、「別荘」、「村」、「坊」などのアパートの表示がされている。
例として香港大楼、馬場別荘、剣橋大楼、安楽村、育分坊など。

馬場道

馬場道は五大道地域で最初に作られた最も幅広い長い道路。
19世紀末、イギリスの商人が佟楼「養牲園」のあたりに別荘と競馬場を建設し、馬場の東にイギリス租界の墻子河につながる馬場道を作った。この道は長さ3.2キロメートル、幅20メートル。
馬場道121号は本来、イギリスに在住していた学者達や文学者が居住するようになって、達文士楼と呼ばれた。この典型的なスペイン風の別荘は五大道の最も古い建物だ。


達文士旧居
馬場道121号
建筑面积650平米,1905年建築
レンガ・木構造の2階建ての住宅で、明るい色合いの外壁、瓦と鉄の屋根、ユニークな形の切妻、それに四角い窓と丸い窓で飾られている。
達文士(Darwins)、英国籍の移民。

達文士旧居

達文士旧居


元天津工商学院
馬場道117-119号
建築面積5662平米,1925年建築
天津工商学院は近代天津における有名な学府。教学楼は半地下室を備えた3階建て、上から見ると「工」の字形の左右対称の構造になっている。正面玄関は北側の中央にあり、西翼は教会。建築様式は折衷主義。
外観はフランス最盛期のルネサンス様式を採用していて、2階と3階の外壁はレンガを精巧に築いた清水壁、窓は回転窓が主である。中央の建物の屋根は四角いドーム型、両翼の軒先にはペディメントが設けられている。
に建てられ、本館は三階ビルで地下室も備えている。
大きな茸の石壁、マンセル式(色彩を色の三属性 色相 、明度 、彩度によって表現する)な天井、円形な鐘が飾られていて、フランス風ロマン式建築スタイルを呈している。
元天津工商学院

元天津工商学院



安楽村
馬場道
建築面積9261平米,1933年建築

3棟が連なった形の住宅で、折衷様式が美しい。外壁は清水壁(塗装を施していない壁)と混水壁(塗装を施した壁)が交互になり、2階にはアーチ型の窓があり、窓と窓の間には2つの柱をあしらった装飾が施されている。
安楽村

安楽村

睦南道

納森旧宅
睦南道70号
1928年建設,建筑面積は1168平米

納森(Narson)(1889〜?)、英国人、開滦鉱務局総経理を勤めた。
レンガ・木構造の住宅で、勾配の緩やかな瓦葺の屋根を持つ。建物の中央は3階建て、両サイドは2階建て。清水壁、2層の鉄窓、室内の装飾は豪華であり、ルネサンス建築の特徴を備える。
納森旧宅


孫殿英旧宅
睦南道20-22号
1930年建設,建築面積2452平米

レンガ・コンクリート構造の三階建ての独立式住宅。折衷主義建築の特徴を備える。変化に規則性があり、両翼がわずかに前に突き出ていて、建物を三つの部分に分けている。そして中央部分の傾斜屋根が突き出て、中軸線を強調している。外壁は大部分が清水壁。大きく突き出た軒を二つの柱が支えている。特徴的なのは玄関のバロック様式の列柱と花飾り。 孫殿英(1885〜1948)、国民党新編第5軍軍長、第3縦隊司令官を務めた。1928年6月、薊県駐屯の機会を利用して軍事演習という名目で西太后や乾隆帝の陵墓を盗掘し、大量の財宝を奪った。
孫殿英旧宅


顔恵慶旧宅
睦南道24-26号
1925年建設、建筑面積2451平米

レンガ・コンクリート構造の3階建ての住宅。クラシックな美とモダンな形、そして革新的な装飾が見事に融合している。特徴的なのは壁面に不規則に埋め込まれた凸起した硬質レンガ。素朴さをかもし出している。1940年代には「偽満州国」の領事館として使われた。 顔恵慶(1877〜1950)、近代の有名な外交官。北洋政府の外交部総長、内務部総長を務め、中華人民共和国成立後は華東軍政委員会の副主席になった。
顔恵慶旧宅


徐世章旧宅
睦南道122号
1922年建設、建筑面積1295平米

レンガ・木構造の2階建ての住宅。近代的な感覚がよく現れた建物である。 徐世章(1886〜1954)、中華民国初期の大統領・徐世昌の弟、近代の有名な収蔵家。北洋政府の交通部次長を務めた。
徐世章旧宅


方先之旧宅
睦南道109号
1942年建設、建筑面積574平米

レンガ・木構造の2階建ての住宅。外壁は混水壁で、硬質レンガが不規則に飾り付けられている。アールデコの特徴がある。 方先之(1906〜1968)、整形外科の専門家、天津整形外科病院の院長や天津市政治協商会議常務委員などを務めた。
方先之旧宅


張作霖旧宅
睦南道11号
1926年建設、建筑面積984平米

イギリスのカントリーハウス風の住宅。外壁はレンガで築かれた清水壁、急勾配の屋根、ペディメントはチューダー様式を取り入れている。大きな庭が設けられ、室内の装飾も凝っている。 張作霖(1875〜1928)、北洋軍閥奉天派の首領。
張作霖旧宅


香港大楼
睦南道2-4号
1937年建設、建筑面積4859平米

レンガ・コンクリート構造の近代的なアパート建築。1920、30年代のヨーロッパ近代建築の様式が色濃く表れている。間取りはコンパクトで合理的であり、リビング、ベッドルーム、キッチン、パントリー、バスルームなどすべて揃っている。使用人がキッチンに直接出入りするための小さな階段も設置されている。地下駐車場もある。
香港大楼


疙瘩楼
河北路283-295号
1937年建設、建筑面積2859平米

天津地域ならではの里弄式住宅(集合住宅)。ただし建物は一棟しかなく、路地はない。レンガ・木構造。 バランスのとれた精巧な造り。壁面には凸起した「疙瘩」(でこぼこ)があしらわれているが、これは天津の近代建築によく見られるもので、この地域の特色となっている。建物の輪郭や門や窓の配列は近代建築のシンプルさが表れており、ベランダや窓の曲線には17世紀のバロック様式の面影が見える。直線と曲線の調和が見事で、上品さをかもし出している。
疙瘩楼

大理道

陳光遠旧宅
大理道48号
1924年建設、建筑面積1170平米

レンガ・コンクリート構造の3階建ての住宅。外壁は硬質レンガで築かれ、屋上には中国式の亭が設けられていて、中西折衷のスタイルである。 陳光遠(1873〜1939)、中華民国初期に江西督軍を務めた。
陳光遠旧宅


孫震方旧宅
大理道66号
1931年建設、建筑面積1900平米

レンガ・コンクリート構造の2階建ての住宅。コンパクトな造りで、アーチ型や方形の門・窓はすっきりとしたラインで造られている。明るい色の外壁と赤い瓦の屋根との対比が鮮やかで、スペインの民間建築の特徴を備えている。解放後、毛主席と周総理が天津を訪問した際にはここに宿泊した。 孫震方、安徽省寿県の人、近代の実業家。
孫震方旧宅

孫震方旧宅


周明泰旧宅
河北路277号
1933年建設、建筑面積1025平米

中庭式住宅で、折衷主義建築の特徴を備えている。外壁は褐色の硬質レンガで築かれ、1階にはアーチ型のポーチ、二階にはベランダがついている。 周明泰(1896〜1984)、近代の実業家・周学熙の長男、伝統演劇史の専門家。
周明泰旧宅

鞍山道

静園
和平区鞍山道70号
1921年建設

もとの名を「乾園」といい、北洋政府駐日公使・陸宗輿の私邸であった。建物は主楼、図書館、使用人部屋、厨房、車庫で構成されている。主楼はレンガ・木構造の2階建ての建物、一部は3階になっている。1階は応接間と食堂、2回は寝室。楼内には木造の階段が設置され、フローリングが施されている。外壁は混水壁で一部が硬質レンガで築かれた清水壁、急勾配の屋根は赤い瓦葺。各楼は渡り廊下でつながれ、折衷主義建築の特徴を備える。 1929年にラストエンペラー溥儀が移り住んでからは、「静を以て吾が浩然の気を養う」の意味で「静園」と改名された。溥儀は1931年にここから大連へ逃げ出し、後に「偽満洲国」の傀儡皇帝となる。
天津の解放後、静園は事務所として使われていたが、その後多くの住民が雑居する「大雑院」となった。2005年10月、園内に住んでいた45世帯の立ち退きが実施され、元の姿への復元と建物の修繕が行われた。2007年7月、修繕工事が終了し、一般開放された。
静園

静園

静園

湖北路

元英国公学
湖北路59号
1927年建設、建筑面積6066平米

英国公学は近代天津における英国籍華僑の子弟が学ぶ学校であった。 レンガ・コンクリート構造の2階建ての建物。折衷主義建築の特徴が見てとれる。左右対称の造りで、形は飛行機のよう。機体部分が講堂、両翼の部分が教室になっている。外壁は塗装され、柱廊が設置されている。
元英国公学

元英国公学


顧維鈞旧宅
河北路267号
1927年建設、建築面積1247平米

レンガ・コンクリート構造の3階建ての住宅。折衷主義建築の特徴を備える。レンガで築かれた清水壁、2層のガラス窓、フローリング、玄関前にはロマネスク様式の柱が立っている。 顧維鈞(1888〜1985)、有名な外交官。
元英国公学


張作相旧宅
重慶道4号
1913年建設、建筑面積1613平米

レンガ・木構造の2階建て、屋根裏部屋を備える典型的な折衷主義建築の豪邸。外壁は混水壁で繰形装飾が施されている。室内の装飾も豪華。 張作相(1881〜1949)、字は輔忱、東北辺防軍副司令官兼吉林省政府主席を務めた。1933年に熱河省が陥落して辞職。天津に住んでいた間、日本占領軍に何度も満州国の要職に就くように勧められたり、利益で誘われたりしたが、ことごとく拒絶した。
張作相旧宅

張作相旧宅


慶王府
重慶道55号
1922年建設、建筑面積5020平米

レンガ・木構造の中洋折衷式の住居。開放的な柱廊と柱と柱の広い距離に中国の特色が表れている。伝統的な中庭式住居で、中央の長方形のホールは1階と2階が吹き抜けになっており、2階部分には列柱回廊が設けられ、室内の装飾は豪華。外壁は灰色のレンガで精巧に築かれ、1、2階には柱廊が設置されている。また、玄関の石段も壮大である。 もとは宦官の小徳張の住宅であったが、1925年に慶親王載振が移り住んでからは「慶王府」と呼ばれるようになった。 慶親王載振(1876-1947)、字は育周、満州族。清朝末期、農工商部長官を務めた。
慶王府


民園大楼
長沙路66-68号
1936-1937年建設、建筑面積7375平米

レンガ・コンクリート構造の近代的なアパート建築。ヨーロッパ近代建築のシンプルさがよく現れている。軒先と窓と窓の間の壁には同時期のアールデコの面影がうかがえる。
慶王府

湖北路

茂根大楼
常コ道121号
1936-1937年建設、建筑面積2103平米

レンガ・木構造の近代的なアパート建築。ほとんど装飾のない幾何学的なシンプルな建物で、1920、30年代のヨーロッパ近代建築の影響が強く反映されている。 建物の中央部は4階建て、両サイドは3階建て、半地下室がある。外壁は主に濃い色の硬質レンガで築かれ、ベランダと一部の壁面には明るい色が塗られていて、その二色の対比が鮮やかである。
茂根大楼


張福運旧宅
常徳道2号
1935年建設、建筑面積1458平米

レンガ・コンクリート構造の2階建ての住宅。硬質レンガで築かれた清水壁、瓦葺の屋根、玄関にはアーチ型のポーチが設けられ、室内の装飾も精美である。 張福運、中華民国政府の税関総署署長、税務総署署長を務めた。
張福運旧宅

張福運旧宅


五大道の軍政要人公館には曹錕、徐世昌、顧維鈞の旧住居がある。文化と医学界の有名人、厳修、方先之、範権の家屋などもある。これらの建物は現在まで保存されている

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